命のビザ


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命のビザ

あなたは日本の好きなストーリーには
どんなものがありますか?

いろいろとあると思いますが、以前、

テレビでこんなストーリーを紹介

していました。

 

1940年、東ヨーロッパのリトアニア。

当時の日本領事館は数百人の群集に
取り囲まれていました。

 

それはナチス・ドイツから逃れてきた

ポーランドのユダヤ人難民でした。

 

前年の1939年に第二次世界大戦が

勃発、全ヨーロッパはナチスに制圧。

 

ナチス・ドイツのユダヤ人迫害によって

逃れる方法は、ソ連から、シベリア鉄道

を経て、日本経由後、米国や第三国

に渡る道しかなく、日本の「通過ビザ」

が生死を分けたのです。

 

杉原千畝領事代理はビザ発行を

外務省に判断を仰ぎましたが、当時、

日独伊同盟の関係から【不可】の

回答でした。

 

難民は必死にビザの発行を訴え

続けました。

 

杉原さんは悩みます。

「難民を救うべきか、、、ビザを

出せばクビになるかもしれない・・・」

 

そして杉原さんが「領事の権限で

ビザを出すことにする。いいだろう?」

と夫人に問いかけると、「あとで、

私たちはどうなるか分かりませんけど、

そうしてあげてください」と夫人は

言われたそうです。

 

杉原さんは、苦悩の末、本省の訓命

に反し、「人道上、どうしても拒否

できない」という理由で、受給要件

を満たしていない人に対しても

独断で通過査証を発給することに

したのでした。

 

そしてついに領事館の門が開いた

瞬間、難民から「おおーー!」という

大歓声が沸き起こりました。

 

それから杉原さんはくる日もくる日も

手書きのビザを書き続けます。

腕が痛みで動かなくなるぐらいに・・。

 

そして外務省から「早く領事館から

撤退せよ」との指示が届きましたが、

それでもリトアニアに残り、必死に

ビザを書き続けました。

 

いよいよ撤退の為、ベルリン行きの

国際列車に乗り込みましたが、杉原

さんは窓から身を乗り出してビザを

書き続けたのです。

 

そして最後に、言いました。

「ごめんなさい。私はもうビザを書く

事ができません・・・」

 

杉原さんが書いたビザは合計2139枚、

家族兼用の旅券が多かった為、脱出

できたのは合計6000人にものぼった

そうです。

 

彼らはシベリア鉄道などで大陸横断し、

船で日本に渡り米国へと逃げて行き

ました。

 

1945年、8月日本敗戦。

 

杉原さんは、ソ連収容所に抑留され、

2年後に帰国、外務省に復帰しました。

 

ところが突然、独断でビザを発行した

責任から解雇通告されたのです。

 

以降、占領下の貧困と混乱の中を生きて

いくことになったのでした。

 

その後、「命のビザ」は歴史の中に

埋もれようとしていました。

 

それから数十年後のある日、イスラエル

大使館から杉原さんへ1本の電話が

入ります。

イスラエル大使館のニシュリ参事官が

28年間、杉原さんを探し続けていたのです。

 

そしてボロボロになった紙(杉原ビザ)

を見せ、自分もビザ受給者の一人

だとして感動的な再会を果たした

のでした。

 

1985年、イスラエル政府より、多くの

ユダヤ人の命を救出した功績で

日本人では初で唯一の「諸国民の

中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」

を受賞。

 

その行為は世界中から賞賛されます。

杉原さんは、「私はやるべき事を

やっただけです」と語ったそうです。

 

さらにこの話には続きがあります。

2011年、3月11日、東日本大震災

で地震と津波による甚大な被害が

世界中のニュースで流れると、

イスラエルの有力紙『エルサレム・

ポスト』は第二次世界大戦中、

「在リトアニア日本公使、チウネ・

スギハラが、訓令に反してビザを

発給し、6,000人のユダヤ人を

救った」ことを喚起し、「在日ユダヤ人

共同体が協力し、すべてを失い窮状

にある人々の救済を始め、在京の

ユダヤ人たちは募金のための口座

を開いた」と報じたのです。

 

また、東日本大震災によって被災

した人々に対する義援金を募るに

あたり、米国のユダヤ人組織

オーソドックス・ユニオンは、会長の

シムカ・カッツ博士と副会長の

スティーヴン・ヴェイユ師の連名

で、以下のような公式声明を発表

しました。

 

『窮状にある人々に手を差し伸べる

ことは、主のいつくしみの業に倣う

ことである。1940年、杉原領事夫妻

は身職を賭して通過ビザを発給し、

6,000人のユダヤ人の命を助けて

下さった。いまこそわれわれが

その恩義に報いるときである。』

 

「命のビザ」によって救われた人たち

は、その後、どんな人生を歩んだ

のでしょうか?

 

そこには命の尊さを感じます。

そして杉原さんが、ビザ発行する時、

家族の不安がありながらも、クビ覚悟

で国の命令に背いてとった勇気と

行動力には、本当に敬意を表します。

 

それから数十年経っても、その行動

によって日本が大変な時にサポートを

受けていること、そして杉原さんの

ような方が日本人としていてくれた

事に深く感謝し、日本人としての誇りを

大切にしていきたいと思っています。

 

改めてあなたの日本の好きなストーリー

はどんなものがありますか?

 

 

セルフイメージコンサルタント

岡崎哲也

 

 

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