決断のメンタルトレーニング


2.聖徳太子

決断のメンタルトレーニング

 

目標設定したら、必ずそれを達成する
決断が重要となってきます。

 

決めた目標をどうやったら達成できるのかを
考え抜くことで、目に入ってくる情報も選別
され、ヒラメキや周りの協力を得て達成へ
進む事ができるんですよね。

 

そこで今回は聖徳太子の決断について
ご紹介します。

 

聖徳太子は、遣隋使派遣,冠位十二階
や十七条憲法の制定などで有名ですよね。

 

当時、仏教と大陸の技術を取り入れ
ようとしていた蘇我氏と古来の神道派
の物部氏との間に激しい戦いが起きて
いました。

 

蘇我氏に付いた聖徳太子は、その戦い
に勝利し、日本初の官寺、四天王寺を
建立します。

 

その頃、中国では首都大興城(長安)
を建設し、100万人の民衆を動員して
大運河を建設中の巨大国家、隋が
倭国(日本)に国交として臣下の礼を
要求していました。

 

従属するか、それとも別の道はないのか・・・

 

聖徳太子は悩み抜いた末、大きな
決断をします。

 

それは、『隋との対等外交』。

 

そこには大きな壁が2つありました。

 

1つ目は、隋が日本からの国書
(外交文書)を受け入れるか?

 

2つ目は、隋が国書を受け入れた後、
使者が日本に渡ってきた際、日本が
対等外交をするに値する国と認め
られるか?

 

この対等外交の試みが失敗した時、
日本は超大国の隋に攻め滅ぼされる
可能性さえありました。

 

朝廷内の反対勢力に、
「もしも失敗した時は、私の命を
差し出しましょう」と説得。

 

日本の命運をかけた国書を遣隋使、
小野妹子に託しました。 (607年)

 

『日出ずる処の天子、書を日没する
処の天子に致す。恙(つつが)無きや』

 

(太陽が昇る国の天子から、国書を
太陽が沈む国の天子にお送りします。
ご無事でいらっしゃいますか?)

 

国書を手にした隋の皇帝、煬帝は
手を振るわせて激怒します。

 

しかし隋は高句麗との戦を控え、倭国
を敵にするのは得策ではないと考えます。

 

また小野妹子は官位を持った正式な
使者であり、倭国が国として成立している
ことを知り、

 

翌年、隋は倭国に使者を送り、対等外交
を認めました。

 

聖徳太子が推し進めたその外交は、
日本の新時代を切り開き、 国際的
地位を確立、大陸の進んだ文化や
制度を取り入れる事ができたのです。

 

私たちは時に大胆なチャレンジを決断
することが重要になってきますよね。

 

成果をつかむには、今までの延長上の
道と全く別の新しい視点の道があります。

 

私は今までの経験を一度手放し、初心
に戻って精進したいと思っています。

 

今年の干支は、馬。

 

ビジネスでもプライベートでも自由に

力強く駆け抜けたいですね。

 

今年、あなたはどんなチャレンジを

決断しますか?

 

セルフイメージコンサルタント

岡崎哲也

 

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