親日 メンタルトレーニング


 

 

親日

メンタルトレーニング

 

2011年の3月11日、東日本大震災。

 

家族や親戚、友人、大切な方たちが
被災、影響を受け、未だに苦労されて
いる多くの方たちがいます。

 

あの時、世界各国が日本の為に
レスキュー隊の派遣、食料品などの
救援物資の支援、多額の義援金を
送ってくれました。

 

そして最も多くの義援金を送って
くれた国をご存知でしょうか?

 

それは、、、

 

台湾なんです。

 

当時のレートで約200億円という
莫大な義援金でした。

 

終戦まで約50年間、日本に統治
されていた台湾の人たちが、なぜ
そんなに支援してくれたのでしょうか。

 

そこにはある日本人が関係している
ことが分かりました。

 

台湾の李登輝前総統は2002 年、
慶応義塾大学の講演で、その日本人
の功績を称えています。

 

その人の名前は、八田與一さん。

 

台湾では銅像やご夫妻のお墓が
建てられ、毎年、命日になると嘉南
平野60万人の農民がお祭りを
するそうです。

 

1895年、台湾が日本の領土に
なった頃、人口約300万人、社会
の治安が乱れ、対日ゲリラ、アヘン
の風習、マラリアやコレラなどの伝染病
などの原因で、きわめて近代化の
遅れた土地でした。

 

国家公務員で土木技師だった八田さん
は台湾赴任後、台湾南部の嘉南平野
の調査で、灌漑設備が不十分な為、
15万ヘクタールほどの田畑は常に
旱魃の危険にあることが判明。

 

その為、ダムの建設計画が上司に
提出され、日本の国会で認められます。

 

ただし工事費が巨額な為、台湾現地
の農民が組合を作り半額を負担する
事が条件でした。

 

そこで八田さんは国家公務員の立場
を捨て、この組合の技師となり、農民
たちに協力の呼びかけを始めますが
猛反対にあいます。

 

「いい仕事をする為には家族と一緒に
住める宿舎が必要だ」

 

二百戸ほどの住宅を造り、学校や
娯楽施設、町づくりをして家族のように
付き合い、段々と信頼されていきました。

 

工事中の1923年、関東大震災が
発生。

 

甚大な被害を受けた日本は、ダム
工事予算を大幅に削った為、台湾の
工事夫たちに失業の不安が漂います。

 

ですが人員削減のほとんどは日本人
でした。

 

疑問に思った人たちに八田さんは、
「このダム完成後、実際に使うのは
台湾の人たちだ。台湾の人たちで
造り上げる必要がある」
と説明したのです。

 

工事では、134人の方が事故で
亡くなりましたが、八田さんは、
日本人と台湾人を区別することなく
遺族1人1人に謝罪して誠実な
対応をされたそうです。

 

10年の歳月をかけ完成した烏山頭
ダム及び嘉南平野一帯16,000kmは
当時、東洋一の灌漑土木工事と呼ば
れました。

 

洪水や干魃の不毛の大地は、毎年
8万7千トンの米とサトウキビなどが
収穫されるほどの台湾最大の穀倉
地帯となり、農民の生活は豊かに
なったのでした。

 

八田與一さんは今でも台湾の中学生
向け教科書に載っているそうです。

 

台湾は私も前職の半導体エンジニア
の時、出張で計3~4年ぐらいは
過ごしました。

 

「あなたはファミリーみたいなもん
だから」

 

ビジネスホテルのスタッフたち、
お客さんやエージェントの皆さんは
とても好意的で一緒に問題解決に
取り組んでくれたり、食事や遊びに
連れて行ってくれました。

 

台湾の人たちが温かくしてくれて
いたのはそういう事があったから
なのかとしみじみ感じたのでした。

 

ところであなたは海外や国内で
外国の人に友達や家族のように
よくしてもらったことはありませんか?

 

改めて日本の復興、そして世界中
の支援してくださっている方たちへ
感謝の祈りを捧げたいと思います。

 

セルフイメージコンサルタント

岡崎哲也

 

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