ある日本人の生き方


今年で終戦67年目を迎えますが、この時期、

あなたはどんな事を感じられますか?

 

私は、とても神妙な気持ちになります。

 

特に今年はハワイ講演した際に戦争体験者から

直接、お話しをお伺いした事で、深く考え

させられました。

 

テレビや新聞でも戦争や終戦についての情報が

流されますよね。

 

以前、あるテレビ番組を見てピーンとくる事が

ありました。

 

それは、白洲次郎氏のストーリーです。


明治に貿易商の金持ちの次男として生まれ、

17歳でイギリス に渡り、10年間留学します。

 

敗戦後、吉田茂外務大臣の要請で終戦連絡

事務局参与となり、英米理解の知識を

活かし、GHQ(連合国総司令部)との

交渉にあたりました。

 

大部分の日本人がそれまで「鬼畜英米!」

と叫んでいたのに、敗戦後一転して卑屈に

なり、GHQにペコペコする中、毅然と

交渉に当たり、「従順ならざる唯一の日本人」

と言わせしめます。

 

1948年(昭和23年)貿易庁長官となり、

日本の貿易立国の基礎を築き、また吉田首相の

外交顧問役を長く続ける事になりました。

 

1951年 (昭和26年)8月31日、

サンフランシスコ講和会議の吉田全権団が

出発しました。

この時、既に民間人となっていた白洲次郎は、

吉田首相から請われて特別顧問として随行します。

 

講和条約の受諾演説を行う2日前、吉田首相

は外務省が用意していた演説原稿に目を

通して欲しいと白洲次郎に頼みました。

 

ところが、GHQの占領に対して美辞麗句を

並べたて、かつ英語で書いていたことに顔色を

変えます。

 

「講和会議というものは、 戦勝国の

代表と同等の資格で出席できるはず。

 

 

その原稿を相手方と相談した上に

相手側の言葉で書く馬鹿がどこに

いるか!!」

 

そこで急きょ、筆と巻紙を買いに行かせ、

奄美諸島、沖縄並びに小笠原諸島等の

施政権返還を内容に入れ、日本が有利に

なるようにして、日本語に書き直させました。

そして吉田首相は、堂々と日本語で

演説文を読み上げ、日本の威厳を保つ事が

できたのです。

 

私はこの白洲次郎氏の生き方を知り、

『日本を愛する心』

の刺激を受けたのでした。

 

自分個人ではなく、日本人としてのプライド

と信念を貫き通す生き方って、本当にカッコいい

ですよね。

 

それにしても一面、焼け野原の土地から今のような

豊かな日本を築きあげるまでどれだけのパワーが

必要だったでしょうか。

 

それはこういった先人の方がたの血と汗の結晶の

お蔭なんだとしみじみと感じたのでした。

 

そして私も国のお役に少しでも立てるよう、

日々精進したいと思っています。

 

ところであなたはこの時期、終戦に対して

どんな事を感じられますか?

 

あなたが今までにテレビや映画、本、あるいは

直接、誰かから聞いたお話しでいい影響を

受けた事を教えてくださいね。

 

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