元英国外交官の想い メンタルトレーニング


英国紳士

元英国外交官の想い

メンタルトレーニング

 

 

あなたはどんなに感謝しても

感謝しきれない人はいますか?

 

時として、数十年の歳月を経て、

その想いが果たせることがあったり

するんですよね。

 

2003年、自衛隊の式典に一人の

イギリス紳士が参列していました。

 

その方は84歳という高齢で心臓病を

患っていた元イギリス外交官

サムウェル・フォール卿。

 

彼にはどうしても日本を訪れたい

理由があったのです。

 

時は、1942年、23歳のフォール

少尉が乗るイギリス海軍駆逐艦

「エンカウンター」他数隻は、ジャワ島

北東部のスラバヤ沖で、日本海軍

の猛攻撃により炎上沈没。

 

乗組員は救命ボートで脱出しました。

 

海は沈没した戦艦から漏れ出た重油

が一面に広がってイギリス兵の目に

入り、見えなくなってパニック状態

となったのです。

 

漂流者400名以上に対し救命ボート

は8隻しかなく、そのボートにしがみつく

のがやっとの状態。

 

やがて日が暮れ、真っ暗闇となりました。

 

「もう限界だ・・・・・・」

 

絶望で気力を失ったイギリス兵たちを

フォール少尉は、「諦めるな、生きて

祖国に帰るんだ。家族を思い出せ!」

と励まし続けます。

 

夜が明けると、朝霧の中、遠くに軍艦

が見えてきました。

 

イギリス兵たちは命が助かったと喜び、

手を振りながら大声で叫んで助けを

求めました。

 

「おーい、助けてくれー!」

 

しかし、それは敵国・日本の駆逐艦

「雷(いかづち)」だったのです。

(乗組員220人・艦長:工藤俊作少佐)

 

「雷」の艦上で望遠鏡を覗いていた

見張り役が、海上に浮遊物を発見。

 

「艦長、イギリス兵約400名以上が

漂流しています」。

 

しかしスラバヤ沖の海域はいつ敵の

潜水艦に襲われるかわからず、

停止すら危険が伴う水域。

 

工藤艦長は乗組員220人の命を

預かっています。

 

漂流中のイギリス兵たちは、敵艦

「雷」が近づいた時、もうダメだと

覚悟しました。

 

工藤艦長は「う~ん」と深くため息を

ついた後、大きな決断を下します。

「敵兵を救助せよ」

 

マストには、「救難活動中」の国際信号

が掲げられ、救助活動が開始された

のです。

 

救助されたイギリス兵は422名。

 

捕虜となり、これからどうなるのか不安

な気持ちのフォール少尉たち士官の

前に工藤艦長が現れて流暢な英語

でこう伝えたのです。

 

(諸官は勇敢に戦われた。諸官は

大日本帝国海軍の名誉あるゲストである)

 

彼らには貴重な食料や水などを与え

られた後、ボルネオ島にあるオランダ

病院船に捕虜として引き渡されたのです。

 

終戦後、フォール少尉はイギリスに帰国

し、愛する家族と再会。

 

後にSir(サー:卿)の称号を与えられる

ほど外交官として活躍します。

 

そしてこのスラバヤ沖の救出劇は、

フォール卿の来日によって、初めて

日本人に知らされることになったのです。

 

「たとえ戦場でもフェアに戦う。

困っている人がいたらそれが敵で

あっても全力で救う。これが日本の

誇り高き武士道なのだと認識しました」

 

フォール卿は日本のテレビインタビュー

でそのように語っていました。

 

工藤艦長は戦後、家族や親しい人たち

にもこの事は一切話さず、1979年、

77歳の生涯を終えていました。

 

「自分が死ぬ前にどうしてもひと言、

工藤艦長にお礼を言いたかった。

彼のことをただの一日も忘れた事は

ありません」。

 

フォール卿が直接、工藤艦長のお墓参り

ができたのは2008年、89歳の時でした。

 

1996年、フォール卿は自伝

『マイ・ラッキー・ライフ』をイギリス国内

で出版。

 

本の冒頭ではこのように書かれてます。

「この本を私の人生に運を与えてくれた

家族、そして私を救ってくれた工藤俊作

艦長に捧げます」と。
フォール卿は、どんな気持ちでずっと

生きてきたのでしょうか。

 

このような事実に目を向け、日本人

としての誇りや自信につなげて

いけたらと思っています。

 

ところであなたが感謝しても感謝

しきれない人は誰ですか?

 

その気持ちを伝えるとしたらどんな

言葉から始めますか。

 

 

セルフイメージコンサルタント

岡崎哲也

 

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