【メンタルトレーニング、無理から
できそうへ】
困難な仕事がきた時、
「無理、できっこない!」と思うのと
「よーし、やってやろうじゃないか!」
と思うのとでは当然ですが結果が
全然変わってきますよね。
北海道で産業用マグネットを作って
いる社員20名ほどの植松電機という
会社があります。
その会社は宇宙開発事業を2003年から
手掛け始めました。
3億円と言われた無重力実験施設を
3000万円で建てたり、1機2000万円
といわれるロケットを数十万円で
作って飛ばし、宇宙開発機構の人たち
と議論を互角にやりあったりしている
そうなんです。
社員さんは、特に宇宙開発の教育を
受けたわけでもなく、学歴も様々で
中には中卒の方もいるとのこと。
いったいどうしてその会社はそんな
事ができるようになったのでしょうか?
その会社の経営者 植松努さん
(現在50代前半ぐらい)が、最初に
宇宙開発事業をやると決めた時、社員
さんからは「やった事がないから
できない」と猛反対されたそうです。
人は前例がない事はやりたがらない
ので、自分が前例になるしかないと
思ったそうです。
そこで自分で工作機械を作ったり、
エンジンの燃焼試験を学び、やって
みるうちに、自分たちが作ったロケット
エンジンが飛んだ時、「自分たちでも
できるかもしれない」と思い始めました。
最初の小さな実験などで、「できるかも
しれない。だったらこうしてみたら」
と皆んなが思えるようになった時から
前に進み始めたと言うのです。
そこで一番大事なのは、「できるかも
しれない」と思い込むことで可能性が
広がり、「できないかもしれない」と
思ったら本当にできない。
その雰囲気作りが大事なんだと
気付いたそうです。
なぜ植松さんは、そう考えるように
なったのでしょうか?
それは大好きな祖父母の影響が
ありました。
おばあちゃんは北海道の北にある樺太
で、自動車の会社をやっていて
頑張って働いて豊かに暮らしていた
そうです。
ですが1945年、ソビエト軍が侵攻
してきてお金が紙くずになりました。
「お金は値打ちが変わってしまうから、
お金があったら本を買いなさい。
それを頭に入れなさい。それは誰にも
取られないし、新しいことを生み出す
んだよ」と教えてくれたそうです。
そしておじいちゃんとの1番の思い出
は、アポロの月着陸を一緒にTVで
見た時、じいちゃんが見たことも
ないほど喜んでいたそうです。
もう1度、その笑顔を見たいと子供
ながらに思い、本屋に行ったら、
飛行機やロケットの本を手にとる
ようになったそうです。
なので中学生になる頃の夢は、飛行機
やロケットの仕事をすることになって
いました。
でも中学校の先生からは、
「そんな夢みたいなことを言ってないで、
テスト勉強しなさい。
そもそもロケットなんて、よほど頭が
良くないと無理だし、お金もかかるし、
お前なんかにできるわけがない」
と言われたそうです。
そして小学生の時の先生にも、
「どーせ無理」と言われ続け、この
「どーせ無理」の言葉が、人の夢を
諦めさせて、自信を失わせてしまう
のだと思ったそうです。
なので植松さんは、社会で使われて
いる「どーせ無理」の言葉を
「だったらこうしてみたら?」に
変えるよう提案しています。
今後、自分の会社のマグネット開発
事業の将来性、そして仕事の寿命は
年々短くなっていくだろうと予測
していました。
誰も歩んだことのない新事業を
生み出すことができるか?
指示された通りに動く人材は、
新しいものを生み出すことは
できない。
日本から海外に製造拠点が移転していく
中、日本が生き残る為には「考える人」
を増やすことだと思ったそうです。
今、その会社は誰もが無理だと
思っている宇宙開発の取り組みを
通じて、「考えること」の大切さを
子供たちに教えています。
修学旅行や会社見学で、年に一万人
を受け入れているそうです。
子どもたちの「あきらめない心を
奪わない」ことで、世の中を良くする
仕事を生み出す人たちになると
信じて活動されています。
自分の夢を誰かに話した時、
「それは無理でしょー」と言われたら
やる気が無くなりますよね。
でも「この前、TVでこんな番組を
やっていたよ、本でこんなのを見たよ、
だったらこうしてみたら?」と言われ
たら、元気がでてきますよね。
あなたの大切な家族や友人、社員さん、
部下の人たちが、自分のできないと
いう思い込みが外れて可能性を広げる
には、どんな言葉がけができそうですか?
植松電機の植松努さんのスピーチをぜひご覧ください。
セルフイメージコンサルタント
岡崎哲也
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