義理
20代の若かった時、
「尊敬できる人なんていない」と思って
いたことがありました。
今から思うと恥ずかしくなりますね。
今は周りに尊敬できて魅力的な人が
たくさんいるので本当にありがたく
感じています。
ところであなたが尊敬している人は、
どんな人ですか?
戦国武将の上杉謙信にはこんな
ストーリーがあるのでご紹介しますね。
室町幕府から信頼を得て関東管領
に任命された謙信。
織田信長が、隣国、武田信玄と
敵対していた為、「幕府を守る」
という言葉を信じて謙信は手を
結びます。
鉄砲を大量導入した信長は
武田を破り、足利義昭を追放。
謙信の重臣、村上氏に離反を
促します。
真意を知った謙信は、足利義昭の
命に応えて反信長包囲網を形成
します。
謙信は、2万余りの軍を率いて、
能登の七尾城に侵攻します。
柴田勝家を総大将に1万8000の
軍勢を先発隊とし、信長も3万の
軍勢を率いて出陣。
能登の七尾城を陥落させた謙信軍は
手取川を渡った信長軍と対峙します。
謙信は槍、信長は鉄砲での戦い
です。
謙信は、陣所に、いつもより多めに
「かがり火」をたかせ、さもそこに本隊
がいるように見せかけました。
そしてあるものを待ったのです。
ぽつり、ぽつり、、、、
「時がきた・・・」
雨が降り始めると、謙信は精鋭
騎馬隊を率いて織田軍の陣へ夜襲
を敢行したのです。
織田軍は、得意の鉄砲も雨で使えず、
大混乱。
しかも雨が降り続き、手取川が増水、
織田軍は撤退が困難となり、謙信軍
の圧勝となったのでした。
槍で鉄砲に勝つには、その特性を
知り尽くし、自然までも味方に付ける
必要があったんですね。
そんな軍神として名高い上杉謙信は、
自らを毘沙門天の化身として正義
を守る事を使命としていたそうです。
有名な川中島の合戦は、もとは
武田信玄に領土を奪われた村上義清
や小笠原長時らに領土を取り返して
ほしいと要請され、出兵。
取り返した領地はすべて両氏に
返しているんですね。
塩止めになった敵の武田氏に対し
ても「領民が困るのを見過ごせない」
として塩を送っています。
敵対していた武田信玄や北条氏は、
息子への遺言に「自分の死後は、
謙信を頼れ」と伝えたとされて
います。
謙信は、そんな義理堅く信頼されて
いた武将だったんですね。
実力があるのに義理堅い人には、
尊敬の念を感じます。
以前、20代の起業家にお互いに
いいと思って、人を紹介した事が
ありました。
その起業家は、後日とても丁寧な
お礼を伝えてくださり、さらにその後の
動きなども、時々伝えてくれるのです。
ほんの些細な事ですが、その事に
とても嬉しく、感動するんですよね。
私自身も、そういった事を大切に
していきたいと感じています。
ところであなたの身近で義理堅い
人は誰が思い浮かびますか?
その人のどんなところが義理堅い
と思われてますか。
もしよかったら私にも教えてくださいね。
セルフイメージコンサルタント
岡崎哲也
■メンタルトレーニンで営業力強化
メール講座(全10回・無料)