2月に入り、受験を目指されている
方たちがよく集まるところがあります。
『合格必勝!!』
天神様に祈願する為、家族、
あるいは仲間達、もしかしたら
自分1人でも行くかもしれませんね。
多くの人たちに親しまれている天神様は、
京都から福岡の大宰府に移られ、梅を
こよなく愛したとされています。
平安時代、文章博士(中流の公家)の
家系に生まれた道真公は、 幼少より
豊かな学才を発揮し、宇多天皇の
信任を得て右大臣まで登りつめます。
この異例の出世が藤原氏のねたみを
買う事になったのです。
宇多天皇退位後、醍醐天皇の時代
となり、醍醐天皇の弟の斉世(ときよ)
親王に道真の妹を嫁がせた事から
ねたみは絶頂となります。
時の権力者 左大臣藤原時平の
「醍醐天皇を廃して、親王の擁立を
企てている」とのざん言により、道真は
大宰府へ左遷 されることになります。
東風(こち)吹かばにほひをこせよ
梅花(うめのはな) 主(あるじ)なしとて
春な忘れそ
「春の東風が吹いたら、梅の花よ、
よい香りを私のところまで送っておくれ。
私がいないからといって春が来ても
咲くのを忘れないでおくれ」
京都から大宰府へ出発する際、
屋敷の庭先に咲く梅に深い愛情を
込めて詠んだ歌とされています。
大宰府へ移った後、道真はくる日も
くる日も近くの山に登り、己の無実を
天に訴えた。
「私にやましい心は一切ない」
その悲痛な祈りは、どれだけ
続いただろうか。
そしてその祈りはいつしか道真本来の
想いに変わっていったのです。
「愛してやまないこの国が、いつまでも
いつまでも平和で豊かであるように・・・」
大宰府へ移って2年後、903年に
道真公は静かに生涯の幕を閉じます。
道真亡き後、遺骸を乗せた牛車は
あるところで急に牛が伏して動かなく
なりました。
お付きの者たちが、押しても引いても
牛は断固として動こうとしません。
それどころか何かを訴えるような目で
じっとこちらを見つめてるのです。
それは道真がそこに留まりたいの
だろうと皆で考え、そこに墓が
建てられました。
そしてその墓の上に大宰府天満宮の
本殿を建てたのです。
時は流れ、年間650万人もの参拝者に
「しっかり学問に励み、この国の礎を
築いて欲しい」と、今でも優しい眼差しで
私達を見守っているように感じます。
寒さがしんしんと骨身にしみるつらい冬。
暖をとることもなかなかできず、
待ちわびて待ちわびてようやくきた
春の訪れに、命がけの冬越えができた
事にほっと胸を撫でおろす。
生命の息吹に満ちた純真無垢な
白梅の白さは、この国の最も美しい
ものの一つだと思います。
風に揺れる花達からは、まるで笑い声が
聞こえてくるような気がして、いつの
間にやら目を細めてしまう。
梅を愛する人の共通した想いでは
ないでしょうか。
この時期になると梅を一緒に愛でる
為に道真公のところへ行きたくなります。
ところであなたは時として、心が
折れそうになる事はありませんか?
もしかしたら職場や学校でイヤな事や
誤解される事、責任を押し付けられたり
することなどがあるかもしれません。
ですが、きっと分かってくれる人が
います。
あなたの信じた道を進んでください。
セルフイメージコンサルタント
岡崎哲也
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