第二次世界大戦 終戦後、
1951年のサンフランシスコ
講和会議で、日本の分割統治案
があったことをご存知ですか?
北海道/東北 :ソ連
関東/中部/関西/沖縄 :アメリカ
四国 :中国
中国(地方)/九州 :イギリス
東京 :米英中ソ
大阪 :米中
会議参加国の間には、日本に膨大な
賠償を科し、戦勝国によって分割統治
すべきだという主張がありました。
そんな中、日本への賠償請求を
放棄し、日本を自由な独立国すべき
だと主張した国があります。
当時のセイロン(現スリランカ)
代表J・R・ジャヤワルダナ氏
(当時大蔵大臣)の演説です。
その演説が、当時日本に厳しい
制裁措置を加えようとしていた
諸外国代表の心を打ち、
厳しい制裁措置を加えようとして
いたソ連を痛烈に批判したことで、
分割統治を救い、日本の国際復帰へ
の道につながったとも言われて
います。
当時のセイロン(現スリランカ)
蔵相、ジャヤワルダナ氏
(当時44歳)演説抜粋
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何故アジアの諸国民は、日本は自由
であるべきだと切望するのでしょうか。
それは我々の日本との長い間続いて
きた深い関係があるからです。
また、アジア諸国民が日本に対して
持っていた高い尊敬の故であり、
日本がアジア緒国民の中でただ一人
強く自由であった時、
我々は日本を保護者として又友人
として仰いでいた時に、日本に対して
抱いていた高い尊敬の為でもあります。
日本から賠償をとるべきでしょうか?
我国はそうしようとは思いません。
なぜなら我われはあの偉大な大師
(仏陀)の言葉、
「憎しみは憎しみによって消え去る
ものではなく、ただ愛によってのみ
消え去るものである」
は、アジアの数え切れない多くの
人々の生き方を気高いものしました。
我々は日本人に機会を与えて
あげねばなりません。
そうであるから我々は、ソ連代表の
いっている、日本の自由は制限
されるべきであるという見解には
賛同出来ないのです。
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演説に感激した日本の吉田茂首相は、
その夜、ジャヤワルダナ氏の宿舎に
出向き、感謝を伝えたそうです。
1978年、ジャヤワルダナ氏
71歳の時、スリランカ初代大統領
となりました。
その後も、日本とスリランカは、
深く交流を重ねています。
数年前、私はたまたま見たこの
ジャヤワルダナ氏の動画に釘付けと
なり、思わずうるうるしてしまい
ました。
もしその時、日本分割案が採用されて
いたら、今の私たちの生活は
どうなっていたでしょうか?
その動画を見るまで、私はこのこと
を知りませんでした。
その内容が、雑誌『致知』の
2020年5月号に掲載されて嬉しく
なり、お伝えしたいと思いました。
私が一番、心を動かされたのは、
ジャヤワルダナ氏が、本当に
日本を愛していたエピソードです。
ジャヤワルダナ氏は、1996年に
90歳で亡くなります。
その時、自分の右目の角膜は
スリランカ人に、左目の角膜は
日本人に送ってほしいと言った
そうです。
そして実際に、日本人の群馬県に
住む女性が角膜移植を受けている
ようです。
それは、「私はスリランカと日本
の両方の国を見守り続けたい」
という気持ちからなんですね。
その想いを知った時、自分の身体の
中に、熱い何かが駆け巡る感覚が
ありました。
日本は、数えきれないほどたくさんの
先人や偉人、立派な人たちが生きて、
守ってきた国。
そして「今の私たちがあるのは、
そんな立派な先人たちのお蔭だ」
と本能的に感じたのでした。
ジャヤワルダナ氏は今、どんな眼差し
で、愛情深く日本を見守っている
のでしょうか。
あなたは、このストーリーを知って
どう感じましたか?
数年前に私が見て感動した動画を
ぜひご覧ください。
未来世紀ジパング
ジャヤワルダナ氏のスピーチ(5分弱)
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岡崎哲也
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